私が不登校になったのは、小学校4年生の時でした。正直いうと、私は小学校4年生の時の記憶があまりありません。もしかしたら、強いストレスを感じたために、自分で、記憶に封をしてしまったのかもしれません。そのため、当時のことを覚えている、母の話を頼りに、この先を書いていきたいと思います。
地元の公立小学校に進んだ私は、給食で苦手なものが多いことと、声が小さいこと以外、不自由なく成長していったように思います。大人しいながらも、スポーツはできたため、クラスの中心にいることも多かったです。
そんな私に転機が起きたのは、小学校4年生の時でした。
私の小学校は、中学受験をする子どもが多く、学年の3分の1ほどの子どもが、受験勉強をしていました。小学校の半分が過ぎ、受験というものが顕著になってきた時、それが小学校4年生でした。
受験をする子たちは、学校で習うことは、大抵学習し終えており、暇を持て余していました。そして、騒ぎ始めたのです。先生が怒ることで授業が止まり、しばらくして再開すると、また騒ぎ始める。
学級崩壊でした。
まともな授業ができないほど、クラスの秩序が狂っていました。
私は、授業を受けたいのに、一部の人が騒ぎ立てるせいで、授業が進まないことに、ストレスを感じ、「学校に行きたくない」と感じるようになったと、母は私が不登校になったきっかけを語ってくれました。
30名弱のクラスで、私を含め6人が不登校になりました。1人は、全く学校に来れなくなり、1人は別室登校、あとの4人は、学校に来たり、来なかったりの日々が始まりました。
まさか、10歳の時に始まったこの悪夢が18歳まで続くとは思ってもいませんでした。